Q&Aコーナー
Ⅴ、『罪について』
Q2.「神様はなぜ人間を、罪を犯してしまうような者として造られたのですか?」
A2.この質問は、「神様はなぜ人間を、善だけを行う者として造られなかったのか」という質問と同じものと考えていいでしょう。
神様は人間を、自由意志を持った者として、つまり、善悪を選択する自由を持った者として造られたのです。このような自由意志を持った者は、いつでも善を選ぶことによって、心に深い喜びと、十分な満足とを得ることができ、その反対に、悪を選ぶことによって、深い悲しみと不満足とを得るのです。神様が、善だけを行う者として人間を造られたとすれば、人間は善を行う機械にしかすぎず、心には喜びも満足も与えられません。神様が、人間に自由意志を与えられたということは、このように人間が、自由な主体として造られたということで、自由な主体にのみ伴う喜びや満足というものが、同時に約されていたということなのです。
確かに、人間には、悪を選ぶという危険の可能性を持った自由が与えられていました。しかし、このようなことなしには、どうして善を選んだ時の喜びというものがありうるでしょうか。ですから、自由意志を与えられたということは、大きな特権だったのです。つまり、神様の愛の恵みの表れであったのです。
ところが、人間はこの自由を乱用して、罪を犯してしまったのです。自由にはいつも責任が伴います。与えられている自由をどのように使うかによって、その責任が問われます。ですから、自由を与えてくださった神様に、文句を言うべきではなく、自由を乱用して罪を犯した人間自身が、その責任を負うべきなのです。
この問題については、これ以上のことはわかりません。私たちに示されていないからです。そして、知る必要のない問題だからでしょう。私たちは、現在のありのままの罪の状態を認め、その罪の状態からの救いのために提供されている、神様の恵みであるイエス・キリスト様を信じるだけで十分でしょう。