Q&Aコーナー
Ⅳ、『信仰について』
Q2.「現代においても、なお信仰は必要なものでしょうか?」
A2.この質問の意味は、この忙しい現代において、信仰のことなど考えていられないということ、あるいは、現代の科学の時代に、今さら信仰でもあるまいということでしょう。
忙しいということは、今日の多くの人々の現実です。しかし、「忙しくてしかたがない」という言葉は、やりきれなさの表現であっても、忙しくて生きがいを感じるのでも、忙しいほど充実した毎日を送っているのでもなく、忙しくていやになってしまうということです。そのくせ、テレビを見たり、雑誌のクイズを解いたり、ゲームをしたりするために、一時間も二時間も時間をとっているというのが普通の現実なのです。遊ぶとか、自分のことのためなら、時間があっても、信仰のために使う時間はないのです。「忙しい」という字は、「心が亡びる」と書きます。心が亡びつつある生活を送っているわけです。本当の心の生活に対する無関心が一般的なのです。
また、今日のように科学が発達して、今までわからなかったことが解明されて行くと、信仰など必要ないと考えるのです。いわゆる迷信は、科学によって説明され、この世からなくなって行くかもしれません。しかし、迷信と信仰とは違います。信仰は科学と矛盾するものではありません。信仰は、科学とは同じ領域において存在するものではなく、扱うものは同じでも、取り扱い方が違うのです。たとえば、死に対する恐れや問題は、科学ではどうすることもできません。かえって、科学が発達するにつれて、科学ではどうにもならない多くの人間の問題が、はっきりしてくるのです。科学が進歩して行くことによって、かえって人間の罪の問題が大きくなるのを知れば、現代人も信仰の必要に目覚めることでしょう。